消滅の起点 物体は物体を否定しながら(1969)
 

 今やわれわれはあらゆる物を造形の対象として用いることが可能になった。自然物、加工され、形を整えられたもの、火やガスのようなものまで、直接的にあるいは間接的になんらかの方法で造形に活用されている。すべてが素材であるとともに、すべてが創造物であるこの混沌の時代に、なにがまずその造形意識の先端にあるのか、ある時代にはテクニックであり、あるときには方法論であり、あるときは行為そのものであり、またあるときは模倣であったりした。そして、今この二〇世紀後半の一時期を観念といわれるあいまいな言語が支配している。それはまさしく、人間の約束事である歴史的言語の類推の解釈として生まれてきた。目には知覚できないしろものなのだ。目に視えないゆえにわれわれは、観念を得体の知れない、ものすごく重量のあるものとして考え、言語のもつ呪詛的な性質と、人が盲目的に信じやすいということの両方によって、あるひとつの位置をあたえたのであった。〈観念〉がなぜ、ひとつのジャンルによって急速に提示されねばならないのか、それは少なからず人間が視覚文化のなかで、見るということを強制されつづけ、形のないものは信憑性がないというところまでおいつめられたからかも知れない。〈視る〉からそこに〈視る物〉があるのか、〈視ること〉が観念の表象作用なのか、少なくともわれわれは〈一瞬にして視る〉ことでしか〈観念〉を知覚できない。数多くの合体した観念性もわれわれの視点では常にひとつなのである。われわれは観念とよばれるものが物をつくる必然性をもっていないと同様、みえる形象のなかに必ずしも観念性を読みとる理由がない。
 形の上ではゆるせるが観念の上では模倣をゆるさぬというような大時代的な妄想によって、われわれの多くは自分の造形に対して密かな確信をいだいている。それはむしろ逆であって、造形はあくまで視覚媒体であるのだから、本来なら形の上での模倣をゆるすべきではないのだ。われわれはひとつの観念に直面し、ひとつの造形を生み、あるいは記号やことばを使って観念を説明しようとしている。観念とは解説するべきものなのか、解説され得るものなのか。視覚物体と抽象的な言語空間との相反するふたつのものをなんの矛盾もなく共有しているそれらのものは何なのか。物体は語られるものであるが、言語は語るものである。そのどちらにも加担しないものをわれわれは必要としているのではないだろうか。

 

 自然のなかの物をもちいる傾向が近頃一般化してしまって、多少珍しい物をならべてもおどろく人が少なくなった。なぜ、こんなに自然そのものを形づくる要素、木とか石とか土とか水を無造作にもちこむのか、なにか自分のものを〈つくる〉という制約から〈選ぶ〉という、手を加えずに選ぶだけで〈つくる〉という概念と並列させた考えであることはわかるのである。人は物を選ぶ場合、相互作用として棄てるという意識を潜在的にもっている。人によって選ばれたのでもなく、つくられたのでもなく、人間の生活環境に大昔から存続しているものを、今に至って観念の代替として取り出し提示するのはそれなりに根拠がなくてはならないだろう。観念でも、人が概念的に認識している物体そのものでもない、中間的なあるものとして自然物はもちいられ始めている。観念は、いわゆる物体や事象で裏づけをとれるものでなく、観念自体でしか証明できないしろものなのだと気づいたときに、提示された物体は、観念と物体の概念の間で宙づりにぶらさがって、行き場をなくしてしまうのであった。人は観念思考があるからそれを物体を基にして表わすのだと思っている。ところが観念と物体は上下にならんだ位置関係でなく、並列にあるものである。造形に限ってコンセプチュアル・アートなどといかめしく肩書がつくのはどうかと思うが、そのようにいわせるのには観念がなにかしら視覚化できる物体に、あるいはなにか事象として表現しうる前提をもっているからだ。観念を標榜する造形が必ずしも観念的な、または始めにもっている思考そのものを表象するとは限らない。人の思考が順ぐりに縦に動いている限り、造形家は思考作用と表象作用との間に一致をみることがない。なぜなら人は、時間も空間もなしにくりかえすことができる思考形体を有しているからである。

 

 一九六九年、初めて地球以外の場所から〈石と土〉が地上にもたらされた。〈月物質〉である。現にそこにありながら〈架空のもの〉であった月である。だが月の石とほこりを研究している今でも、月は依然として〈なんだか、よくわからないもの〉なのだ。科学者が調べている石や土は確かに月の〈石や土〉であるが、それが地球上にもたらされた瞬間から〈月の〉という場所を提示することばを失って、ただの〈石や土〉になりはてる。われわれはその〈石や土〉を見て、月という得体の知れないものを漠然と思い浮かべるけれども、月という惑星の歴史的事実や構造、地質学的論証、生存空間なりをまさに肌で感じることはできない。なにかを知るとすれば石や土そのものが、月から地球に広大な空間を横切って運ばれたという抽象的な事実と、石やほこりのつまり〈月の〉という限定を失った石やほこりの科学的なわずかのデータでしかない。われわれは月がまるいという言い方のなかに平板なイメージをもつが、地球のごとく土で無垢にできているとはあまり実感として想いはしない。われわれは月そのものを引っぱってきても、月の〈石〉をもってきてもさほどの差異を感じない。
 人がなにかを選んだり判別したりするとき、他の事物なり考えを基準にする。同質のものとか、同系統のものとか、形が似ているとか、相対的に比較して異様なもの、役に立つもの、危険なものなどと決める。月の石は地球の石と相対的にひきくらべたときに初めて、〈月の〉という認識が得られるのである。相対するものもなくして、われわれは今まで虚構である月という名称のみによって月を位置づけていたことになる。人は〈月の〉石をみたとき、地球の石と異なるからおどろくのではない、〈月の石〉はまさしく〈月〉そのものであるという認識と、ふけば飛び散ってしまうほこりが、ひとつの歴史と時間と空間をもった巨大な実体である世界を包含してしまう事実におどろくのである。ぶつ切りの三角形の板の箱のなかにある地点のガレキをつめこんだロバート・スミッソンは、地上の石というよりもアメリカの特定の地域の石が必要だったにちがいない。ヨーロッパのでも東洋のでもない、まぎれもなくアメリカのあるところの石でなければならなかった。これは、虚像文化であるアメリカのもっとも痛い部分をついているのだ。なぜなら、アメリカは民族意識、気候風土、言語学的秩序というものを根本的に国の成り立ちとしていない。スミッソンでさえ、虚像アメリカの弊害を完全に打破していない。つまり、打破すべき実体がはっきりしないということで、彼は自分が採集した石の土地やその状況や日付けを記録しておかなければならなかったのだ。だがその記録さえも書かれたものでなくて、タイプされ印刷されたものであることに気をつけねばならない。
 石をある場所からある場所に移動する時、スミッソンは物という概念から石という象徴性にふちどられた物でない形象に、一歩近づいたことになる。それはタイプでは記録できないアメリカそのものの重さを石から感じたということだ。重さと距離と時間と空間をいっしょくたに、つまり語ることのできないアメリカをとらえようとした。彼は三角形のぶつ切りのなかに明らかに石を入れているのであるが、それはアメリカ人が忘れ去ろうとしている原野のえんえんと続く泥まみれの、これから地球が存続すれば何年でも在らねばならぬ、虚飾文化が終わればたちまちにして荒野に変わる、アメリカという国そのものを入れようとしたのではなかろうか。
 運ぶという行為でスミッソンは自然とつながりをもち、三角形のぶつ切りの箱をつくることによって人間と人間とのつながりを、人間と文化というものとのつながりを保持しようとした。つまり、形を制約するという簡単な行為でもって、視るものにその形を自由に選択できる意図を植えつけ、その上、箱をつくるという共通の動作をよび起こした。それはとりもなおさず、少なくとも人びとが無意識のうちに箱のなかの石を通して実在するアメリカというものを認識したのである。人は直接に石に対して、共通の言語をもたないが、箱に対しては共通の話題をもつことができる。箱は人の工作物だからである。
 スミッソンの《反地帯》という造形は素材の性質を表出したというより、行為の性質の産物である。人は物体が在りながらもその本体を視ることができない。観念によってガレキや木の枠が用いられたのではなくて、そこに物体が現出するために観念も石も木も写真も、タイプされた記録も行為も並列した線上で価値づけるためであり、それは実像としてのアメリカというものをつねに告発しつづけているのである。生の素材そのものが造形思考のひとつとなった現在、物は無理やりに〈性質〉を暴露せねばならなくなり、観念は物そのものの存在でなく、〈性質〉に直結し、逆に観念がそこに出された物以上に広がりをもたない事実を知るのである。観念はあくまで人の想念の域を出るものでない。自然物が(他力的な)造形の要素として短期間のうちに造形家たちの間に浸透していったのは、それなりに理由がなければならない。日本人の自然に対する接触の仕方、ものの見方は見る側である人が自然の風景のなかに、時間や空間のなかに埋没する形でなされてきた。同一線上に並んでいる状態を別の眼に見えない視覚がとらえていたことは確かである。また、それらを総括しているものはなにかというと、一切が無という東洋の精神性の一端であった。あってなきがごときこの精神性のゆえに、日本では次代に移行する観念を表出できなかった。
 素材主義や構造主義の源泉ははるか昔にある。名称が異なるということで、われわれはそれらしくかまえることをしなかっただけである。人の行為は、くりかえしという概念の基にあって、同じ行為をしている最中に明らかに初めてのごとく、それが生涯の唯一の行為ででもあるかのように思いこむのはなぜなのか。人は動作を意味の証明に使っていないからである。つまり動作はそれ自身の動作を立証しているだけなのだから。それは音そのものに近い概念である。人一人が生涯もっているスぺースは縦でなく横に流れる時間帯なのだ。まさしく人は過去のいろんな出来事を記憶することができる。しかし、それはなにかの証明にはならぬ。人は記憶することを記憶しているだけなのである。
 物の概念を物によってまずこわさねばならなくなった時、われわれのしたことは物にできるだけ人手を加えずに、それと気づかせることであった。木が木であり、土が土であると明確に区別されて認識できたときに初めて、われわれは突き破るべき対象をとらえることができたのである。それは人の意識が埋没してしまう自然のなかから、人の頭脳で自由に操作できる人工の自然を造り出したことになった。
 個々の物がそれぞれに別の物であるために、もっとも端的な方法として、同じ思考のもとに違う素材を用いることであり、そのことはそれぞれの素材の特殊性を引き出すとともに、思考のヒネリを即座に視覚化するというおもわぬ効果をもたらし、一般性のあった思考が、個有の確信に裏打ちされて絶対的な超論理を誘引したのだった。ゴムがのびるとか、ガラスがわれるとか、砂が粉末状でありながらなんらかの形体を保つとか、ということは、視る人に視る方向以外に何かを感じる方向を与えるものだ。人が物に望んでいることは極限的な物のあり方である。そうあらねばならぬということではなく、ある物の特殊性が出たその時点で、物がその物自身の否定をし、交換をもたらし得るということなのである。
 物が極限の状態を保持できるならば、絶対にそうあるべきでない物の状態が相対的にあらねばならず、二つの落差が大きければ大きいほど、物がなにものかに変革する志向性を感じることができる。なにかがあるという存在の状態から、なにもないという感覚の次元に入っていけるのだ。
 われわれは同じ方法論をもって、他の要素を自在に駆使することを覚えたが、そのたびに物は人の思惑とは裏腹にますます行為そのもののなかに入ってきて、人との関係を深めた。人は競って新しい素材をさがさねばならなくなり、素材を次々と変えることによって、視えないものを視える世界にひきおろした。まさに下降作用である。これは観念が方法論ぬきにして表出した奇妙な仕方でもあった。
 方法論の問題として、それぞれ別の観念性に基づいて何かがつくられるとすれば、それは素材の性質ではなくて、行為の性質としての表象作用である。素材自体をひんぱんに変えることなく、観念とそれを思考する人自身を絶えまなく変革していくことだ。物になんらかの特質があるように、人の動きや行為のなかにも決定的な特質があり、それぞれ人によって違うはずである。人が同じ素材を用いて、同じ方法で同じものをつくったとしても、われわれは歴然と行為の違い読みみとることができる。ここに至って、われわれはそれぞれの思考性の有無を問題にすることができるのだ。物のあり方の極限でなくて、思考の極限が行為の性質の極限と同格にあることに気づくのである。新しい素材が古ぼけた、使いふるしの同じ観念をみせびらかすことに疑問をもたなかった。だが、使いこなされた素材は行為の性質の極限をしめし、観念同士がそれぞれ孤立し、視覚されない次元に移り住まねばならぬことを確証した。
 造形家が彼ら自身にしかわけのわからぬものをつくるのは、一種の歪曲したストイシズムを暴露しているだけなのだ。
 前にスミッソンのところで述べたように自然の石に対する箱というように、人工的な精製のプロセスをへてきた素材について、より注意を払わねばならない。自然物は人が始めにもつ〈なにかにつくりなおせる〉という変位性をもっていない。われわれは土や石や水を無条件に受け入れはするけれど、土や石や水などに変わるべきなにものをも考えたり、つくり出したり、使用したりすることができない。自然物は、人のつくり出す実体の、もとの根源的な実体として疑うことがなかった。しかし、人工の産物は提出し、見ようとする時に至って虚体となってはね返ってくるのであった。その上、物の不変性さえもすて去ろうとする。人はそれらに在り方や構造としての、物のかなりはっきりした前提をもっており、個人的な差異こそあれ、〈わかっているのだ〉という先入意識をかくしきれない。人がそこにいるという自覚さえ不確かなのに物そのものの存在を正視できるはずがない。人は認識以上の新たな世界を視ることを拒んでいる。
 たまたま町の画廊でみた菅木志雄のパラフィンだけの造形の規格外れの認識には、時代の変容性や行為の極限状態もそうであったが、物を物で規制することへの疑惑を読みとるべきである。人は自然物をすかしてまっこうから〈物の実在〉に直面することになる。
 人工物と自然物とを組み合わせることで、物を物で否定しようとしたものに関根伸夫のステンレスの長方体の上に巨大な自然石が乗っているのがある。一見して人は自然石が空中に浮かんでいる錯覚にとらわれる。が、それはささいなことであって、むしろ自然石が長方体に確かに乗っかって実在することの重さを知覚しなければならぬ。近くにいけば石が自分のほうに落ちかかってきそうな気配を感ずるとともに、石が長方体から現に地面に落ちてしまった状態を想起した瞬間、人の視覚から巨大な石はフッと消えてしまう。その時、人は石のある一枚の風景を見ているだけなのだ。それは石が石の概念を失った姿でもあった。石はステンレスの長方体を消しさり、石は石であることを否定した。ステンレスの長方体の認識は、石を乗せているという受動的な状態の抽象性しか表出していない。人は石を視るけれども、それと並列している作家の観念の重みを視ているわけではない。物自身が、物のあらゆる概念と実在とを否定した時に、必然的に起こり得る非常事態(あらゆる認識をすてさったところの)を視ているのだ。誰が見てもあの石とあのステンレスの長方体でなければならぬという位置づけこそ、わずかに観念の共存する場所であった。これは人工物と自然物が融和し、静止した状態そのものの実在として成り立った強烈な一瞬だったのである。
 何か二つ以上の素材が力学的な関係でもって切っても切れない位置のあり方をしている時、ある種の危機感をもつ。それは位置に対する危機感だけでなく、人間自体の浮遊性と作家がただよわす観念の危機を察知するのである。一人の暗黒舞踏家が自分の肉体のなかには四角いハコがあるという。そのことは明らかにハコと彼とが同格であり、ハコでもなく彼でもない何かであり、何かさえもハコや彼以外ではありえないという逆説的な拠点に立っているのであった。
 われわれは観念が観念でなくなる部分、素材が素材の役割を失う部分、実在が実在でなくなる部分、行為が行為としての役割をはたせなかった時点で新しい位置を見いださねばならない。
 造形が、物のあり方や人の行動やちゃちな観念世界を相手にするのでなくて、少なくとも時代のあらゆる言語空間、あらゆる固定概念、気候風土、人類学的構造、宗教や精神性なりを一挙に変革することをめざさぬ限り、われわれはまさしく造形そのもののなかで野たれ死にするばかりだ。

 ──われわれは時代に挑戦しているのである。

 観念の流動性と物の変転する思考とがようやくわれわれの日常空間に重複して現出するようになり、物をつくるということが何かの完成された表象作用でなく、巨大な漠とした異空間への起点であることに気づくべきである。


初出:『SD』第62号、1969年12月