領域の厚み(1996)

菅 木志雄

 

 ここに提示した作品は、わたし自身のものであり、設置場所としては、特殊なもののひとつであろうと思われる。この仕事は、湖水という場の設定なくしては、できないものだった。場所やまわりの状況をたしかめてから、コンセプトや制作方法を考えるという〈変則的〉なやり方で制作したものであった。〈変則的〉といったのは、当時(一九七〇年前後)は、どちらかといえば、アトリエとか工場でつくったものを展示場所に設置するスタイルのほうがふつう(常識)だったからである。一から一〇まで、つまり何をどのようにつくって、どこに置くかを展示する現場で考えるのは、正直いってこわいことであった。実作者自身はもとより、受け入れる側も、こわい思いはかわらなかったと思う。
 わたしは現場で、与えられた強化プラスチックの原料などを前にして、頭をシボった。そして常識的なやり方はしないという前提を、ふたたび自ら確認した。設置場所は、なだらかな陸の部分と湖水が含まれており、当時のわたしの信条として、他の人が使用した場所やものは無条件にさけると決めていたので、湖水を仕事の場所と定めるのに、それほど時間がかからなかった。一九六〇年代の終わりには、欧米からアースワークやランド・アートの情報がはいってきていたし、それに加えて、ヒトの頭の小さな枠組みだけで、アートは成立するものではないと、薄々感づいてもいた。イメージや感情の動きは、わたしのなかではむしろ否定的な要因であり、それで制作しても、充足した表現はできないと考えていた。だからそれに代わるものとして、思考や理念の多様性、場や状況の事実性などのほうをより制作上の重要なファクターとしていた。
 結局のところ、つくられたモノは、どこまでいってもヒトの生息領域のなかに設定される。それゆえ、その領域性(場性)を充分に使いこなさなければ、いくらモノが出来上がっても、表現としては十分ではないだろうという思いがあった。ヒトの思考と領域性とが火花を散らすところを、わたしはいつも捜していた。それは領域性が、わたしの表現性の半分を肩がわりするだろうと考えたからである。第三者は、作品と同時にその周囲の領域性をも見ることになり、その影響はずいぶんと大きいはずである。
 アースワーク以前は、作品が置かれる〈場〉の問題は、二義的なものであったし、特に必要でなかった気がする。むしろその孤立的な物体観を考えるとき、周囲は邪魔だったかもしれない。わたしは一〇日ばかりかけて、湖水に作品を浮かべた。はじめ、水をどのようにとらえるかが大きな問題だった。固体でなく流体であり、そのものをどうこうするには、設備も素材もなかったので、わたしは水面上に着目した。幸い水は透明で、ある程度透視がきく、少しぐらい沈んでも見ることが可能である。つくられたモノが見える状態にあるのは、アートにおいて不文律のようなものである。ある実体感を体現できるというのは、アートの本質のひとつなのであり、そこをはずしては、どのような高尚な思考も二束三文でしかないと、わたしは思っている。だから、〈見える限界〉ということがいつも気になっていた。どのように見える状態にしたらよいかは、思考のプロセスとシステムのかぎりないせめぎあいになる。この《状況律》もそうであった。
 わたしは、いまでも実作上の要因のひとつとして持ちつづけている〈間〉、〈すき間〉という認識を、そのときもちこんだ。モノとモノとの区別、空間と空間との次元性のちがいを支えているのは、この〈間〉〈すき間〉の認識にちがいなく、それがどんなに狭い空隙でも、巨大な実体性をかもし出すものであると、わたしはずっと考えている。空気と水と土のそれぞれの領域性をあきらかにすることによって、その〈すき間〉に介在する作品のシステムと実体性を、そして理念を〈見えるもの〉にするのがわたしのねらいだった。

 

初出: 『コ・ラボ・アート』第5号、特集・これから考える「戦後日本の現代美術」─特集1・これからの「戦後日本の現代美術」、1996年